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248号 感話:戦後80年の8月 [ 令和7年8月6日 ]

梅雨明け

248号 感話:戦後80年の8月  梅雨がないままに「梅雨明け」になりました。熱中症警戒アラートが発信されれば、外出を控えますが、お仕事によってはそれもできない方もおられます。農作物への影響も心配です。天気予報にも晴マークが並んでいます。高校野球県大会は準決勝、決勝がこの炎天下で行われます。夏風邪を抱えていた私には、その逞しさに頭が下がる思いです。そして「頑張りすぎないように」と心配がよぎります。
 そして中越高校は甲子園出場を決めました。

 写真は 雨なしの猛暑の中けなげに芙蓉の花一輪


「さわやか講話会」聴聞記

 7月6日(日)明鏡寺様で第22回元上組さわやか講話会が開催されました。石上広幸さんと明鏡寺ご住職による2部構成のインド紀行でした。石上さんのお話から、近年IT産業のめざましい発展で注目されているインドですが、人々の暮らしに目を向けた映像や未だに根強く残るカースト制による身分制度の実態から、お釈迦さまがこの地に誕生された理由(わけ)が見えてくるようでした。
ご住職のご法話も熱が入りました。訪れたインドの聖地ゆかりのお話しの中で特にシュリハンドク(周利槃陀伽(シユリハンダガ))のものがたりは心に遺りました。お釈迦さまは阿弥陀如来の本願を説かれるためにインドの地にお生まれになりました。シュリハンドクは物覚えが悪く、お釈迦さまの弟子になるための戒律の言葉ひとつも覚えることができなかったと伝えられています。シュリハンドクができた唯ひとつのことばが「垢を払え、塵を除け」でした。彼はホウキを持ってひたすらそれを実践しました。シュリハンドクは後にお釈迦さまの高弟と讃えられることになりましたが、「あなたは何者ですか」と訊ねられても、生涯「私はシュリハンドクです」と応えられたにちがいない。「今回、お釈迦さまの聖地を歩いてそのことが確信できました」と結ばれたご住職の思いが伝わってきました。阿弥陀さまのご本願は「シュリハンドクはシュリハンドクのままで、私は私のままで尊い」と今もはたらきかけて、私に届けられています。


境内草取り御礼

248号 感話:戦後80年の8月  7月26日 朝6時前から始まりました。恵以真会の皆様はじめOBの皆様、門信徒の皆様ありがとうございました。


感話 戦後80年の8月

248号 感話:戦後80年の8月 長岡まつりは大花火大会が全国にテレビ放映されるほどに有名になっていますが、その起源は昭和20年8月1日夜10時30分に始まった長岡空襲にあります。今年長岡市よりその犠牲者にお一人の追加が発表されました。遺族による申し出に基づくものです。1,489名の尊いいのちを追悼することが花火大会の目的のひとつです。
 本願寺新報8月1日号で「終戦80年 語り継ぐ私の思い」が特集され、私の投稿記事も掲載されました。内容はてらだより1月号に載せたものと重複していますが、改めて80年前の父の思いを振り返る機会となりました。


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