浄土真宗本願寺派 託念寺のホームページ

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イメージ:託念寺縁起
<託念寺縁起>

 富山県黒部市生地というところに浄土真宗大谷派 梅澤山専念寺があります。 現在の住職は第25代目という大変古い歴史のお寺さんです。 専念寺の由緒書によれば、開基 (お寺を開いた人) は親鸞聖人の24輩 (聖人から直接み教えを聞かれた24人のお弟子さん) の8番目、証性房の子どもといわれています。 証性房は畠山重忠という有名な武将の子、重秀であると伝えられています。 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には関東の武将畠山重忠がたびたび登場します。 源平合戦で義経が名をあげた鵯越 (ひよどりごえ) の坂落としで、馬を背負って坂を下りたという伝説を残した武将です。 吾妻鏡では重忠が二俣川で戦死したときに重秀も一緒に亡くなったとありますが、証性房が開基したという蓮生寺の伝承では、重秀は亡くなっておらず、晩年親鸞聖人の弟子となり証性房と称したとなっています。 これを信じましょう。 蓮生寺は福島県東白川郡棚倉町にあります。 ご住職は第26代目だそうです。 生地の専念寺も福島の蓮生寺もご住職の名字は畠山です。

 話を専念寺に戻します。 蓮生寺開基の畠山重秀 (証性房) の子ども畠山信了が富山県入善町で専念寺を開基したのです。 そして時代が下り、16世紀の末、豊臣秀吉の時代に本願寺の跡目相続を巡って事件が起きました。 これは後に本願寺がお西とお東に分かれるきっかけになった事件です。 1592年本願寺第11世顕如上人が亡くなられます。 その後継を長男教如上人と三男准如上人が争う形になりました。 結果は秀吉が支持した准如上人が継職したのですが、当時専念寺の第11世住職正宗は教如上人を擁立する側につき、結果として豊臣秀吉の反感を買い、前田利家の命で斬首の刑に処せられました (慶長2年・1597年) 。 そしていったんは専念寺が取りつぶしになりました。 その子息たちは糸魚川や長岡に逃げてきたのです。 徳川家康の時代になって家康は教如上人に東本願寺を寄進し、本願寺が分派しました。 教如上人はご門主になりました。 そしてこれを機に専念寺正宗の長男祐正は生地に戻り専念寺を再興することになりました。

 糸魚川に移った子息が建てた寺は、1598年開基で大谷派東澗山光照寺といいます。 今の住職は第15代目だそうです。 また、長岡に移ってきた子息は専福寺 (長岡市十日町) を開基しました。 ここは鷲尾という姓を名乗っています。

 ところが託念寺には、永禄7年(1564) 頃に生地から、前島の地に専念房 (専念寺から来られた人だからこのように呼ばれたのか) という人が来て草庵を建てたと言い伝えられているのです。 この言い伝えを大事にして想像をたくましくすると、専福寺を開基した人は、秀吉による法難のときに、専念房を頼って長岡の方面に移ってきたのではないかと推測しています。 前島の草庵は、専福寺が開基された後、60年間くらいは引退住職の隠居所とされていたようです。

<託念寺開基>
  • 寛文 8年 (1668) 初代住職 釋敬圓

専福寺住職を退いて前島に隠居した後、託念寺を開基したと思われます。 託念寺に現存する蓮如上人御真影の裏書きに寛文8年の年号と東本願寺15代常如上人花押、願主釋敬圓の名が記されています。

<大谷派 (お東) から本願寺派 (お西) への転派>
  • 享保16年 (1731) 第4代住職 釋廓應

このときご下付を受けた親鸞聖人ご真影の裏書きに西本願寺第15代住如上人花押の名が記されています。 これは転派に関係してのことだったかも知れません。

<寺院火災>
  • 明治14年 (1881) 御堂、庫裏が全焼

大雪の2月、未明に出火し御堂、庫裏が全焼しました。 「五尊様 (ご本尊ならびに親鸞聖人、蓮如上人、七高僧、聖徳太子のお掛け軸) 以外はほとんど持ち出すことができず、過去帳も含めて灰燼に帰したと記されています。

<御堂の再建>

明治14年の火災のあといつ御堂が再建されたか記録がありません。 推測ですが、そのあとすぐに仮御堂として再建されたと思われます。 そして昭和45年 (1970) に再建されるまで90年近く、お念仏を相続する道場として利用されてきました。 以下に昭和45年以降の建物に関する事業を記します。

  • 昭和45年11月 御堂建立
  • 昭和53年10月 御堂増築
  • 昭和59年10月 梵鐘再鋳・鐘楼再建
  • 平成 3年10月 内陣改修:極彩色宮殿
  • 平成12年 8月 御堂屋根敷設・庫裏改築
<お念仏の相続>

浄土真宗の寺院は世襲を習わしとしています。 現住職 (鷲尾純一) は13代目になりますが、住職としての活動の記録等が残されているのは第7代目 (釋廓證) からです。 第8代 釋廓祐は病弱で実際には住職を継承しないで亡くなっています。

第9代 釋祐了は明治の傑僧といわれた七里恒順師と少年時代竹馬の友だったと恒順師から祐了住職に宛てた手紙に記されています (七里恒順師は飯塚明鏡寺から博多万行寺に婿養子として入られ福沢諭吉とも親交があった人)。 祐了は伝道、法義繁盛に勤め、常例説教日は100人を超える参詣者があったと記録に残されています。

第10代 釋了凡は上述の七里恒順師を慕って九州博多まで赴いて教学を修めました。 現在託念寺の教化組織「恵以真会」の名は了凡が命名したものです。

第11代 釋顕昭は住職を50余年務め、その間昭和27年には前川保育園を開設しみ教えを保育の中にでも実践しました。 伝道教化活動も熱心で日曜日の法座活動を続けました。

第12代 釋晃凡もまた法座活動を継承しましたが、特筆すべきは地域の聞法者が恵以真会を組織して盛り上げ、その活動が全国に知られるようになったことです。

現住職は平成16年11月に住職を継承しました。 これまで託念寺の住職が最も力を注いできた伝道活動を引き継ぐことが何より大切であると思っています。 このホームページがその役割の一端を担えるよう精進いたします。

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  • 永禄 7年頃 : 前島の地に専念房という人が来て草庵を建てる。
  • 寛文 8年 : 託念寺開基。初代住職 釋敬圓。
  • 享保16年 : 大谷派 (お東) から本願寺派 (お西) へ転派。
  • 明治14年 2月 : 寺院火災。御堂、庫裏が全焼。その後仮御堂として再建。
  • 昭和45年11月 : 御堂建立。
  • 昭和53年10月 : 御堂増築。
  • 昭和59年10月 : 梵鐘再鋳・鐘楼再建。
  • 平成 3年10月 : 内陣改修:極彩色宮殿。
  • 平成12年 8月 : 御堂屋根敷設・庫裏改築。
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  • 平成16年11月 : 現住職 鷲尾純一。

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寺院名託念寺 (たくねんじ)
宗 名浄土真宗
宗 祖親鸞聖人
宗 派浄土真宗本願寺派
住 職鷲尾純一
お問合せ先 〒940-1147
新潟県長岡市前島町211
TEL/FAX.0258-22-2998
maeho44@crocus.ocn.ne.jp

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