浄土真宗本願寺派 託念寺のホームページ

浄土真宗本願寺派 託念寺

247号 感話: [ 令和7年7月9日 ]

猛暑が続いています てらだよりのアップが遅れました

247号 感話:  梅雨入りが報じられてすぐに真夏のような天気が続きました。農作物への影響が心配されます。目を世界に転じてみれば紛争が絶えません。平和が遠のいているように思います。建物を破壊し、多くの市民が犠牲となり、住む場所を追われた人々は食糧難にもあえいでいます。
 今年は戦後80年の節目にあたります。朝ドラの「あんぱん」ではちょうど主人公の崇(やなせたかし)が戦地で餓死寸前の危機に立たされています。崇を送り出した高知では空襲によって焼け野原になり、のぶちゃんは呆然と立ち尽くしていました。戦争では兵隊となって駆り出された若者が、愛する人と共に生きたいという思いを押しつぶされて、国の犠牲になっていのちを終えていきました。「戦争ははじめたら容易に終えられない」ことを教訓にできず、今の時代にさらにエスカレートしています。情けなくなります。


「ながおかお寺めぐり」研修旅行

247号 感話: コロナ禍で中断していた恵以真会研修旅行を再開しました。長岡市内にあってもご用がなければお寺の本堂に入ることはありません。このたびは「ながおかお寺めぐりステッカーラリー」に参加している17ヵ寺のうち7ヵ寺を参拝いたしました。宗派としては真言宗、浄土真宗、曹洞宗、真宗高田派、法華宗の五宗派でした。どこのご寺院でも温かく迎えていただいて、お寺の来歴や見どころなどお話いただき、集合写真も撮らせていただきました。右の写真は本妙寺様です。法華宗は鳴り物が多く賑やかにお勤めしますと、ご住職自らシンバルのような妙鉢(みようばち)という楽器を実演くださいました。右側脇壇には鬼子母神(きしもじん)が祀られていて神社の要素も併せ持つ本堂の作りになっていました。
 私たち僧侶は自分の宗派の教義や作法に従いますが、この地域の方々は家の宗教としてお仏壇を護り、仏事を行ってきました。例えばお嫁さんに来られた方はご実家が他宗であっても嫁がれた後は婚家に柔軟に適応してきました。親族もまた必ずしも宗派が同一であるわけではありません。葬儀や法事ではそれぞれのお家が引き継いできたものをお互いに尊重する対応をしてきました。殊更に個人の信仰を主張することは遠慮しています。それを可能にしているのは仏教の裾の広さであるのかもしれません。宗派が違いご本尊さまも違いますが、仏教がめざすものには共に通じるものも多く、視点を変えて学ぶことの楽しさにも気づかせてもらえました。


感話 私にとって幸せとは何でしょうか

 令和7年度元上組連研がスタートしました。第1回は「私にとって幸せとは何でしょうか(連研ノート「12の問い」より)がテーマでした。「幸せとは何か」を問われても簡単に答えは出てきませんが、はじめて連研に参加されたTさんがお話しくださいました。「連研が始まったらどうしても言ってみたい、皆さんに聞いてもらいたいと思っていました」と前置きされました。三回忌を終えられたばかりの、お連れ合いとの10年におよぶ介護のものがたりでした。どんなものがたりであるかはご本人の語り以外には伝えることができません。Tさんの語りの中にこそ感動があり、Tさんのしあわせに共感できるものだと思いました。
 「しあわせ」をテーマにしているところでTさんはなぜ奥様の介護のものがたりを語られたのだろうかと振り返りました。50代で病気が発症し、重い障害が残ったら、それを介護する側も介護される側も通常ならその境遇を嘆いてしまいます。そして介護の末に亡くなられたのです。喪失の悲しみも大きかったに違いありません。愚痴がでることも、ケンカしたことも、腹が立ったこともあったはずなのに最後に行き着いたところが「しあわせ」のゴールであったのです。
 最愛の人を亡くして喪失の悲しみが消えるわけがないのに「しあわせ」に結びついているのはなぜでしょうか。とても新鮮な問いとなりました。
 私は両親ともに亡くなっています。父は15年、母は6年のときが経ちました。父は自宅で最後まで過ごしそのお世話をすることができました。母は5年間施設で過ごしましたが、母を施設に訪ねて時間を共にした思い出が今はしあわせな気持ちで振り返ることができます。
 母との最後の1年は「親と子の童謡集『ゆりかご』」と共にあります。この歌集は私の叔母である長尾顕が編集したもので、子どもの頃に歌った童謡、文部省唱歌、仏教讃歌などが多く納められています。少しずつ認知症も進んだ母と会話する手立てとして母が好きだった歌が思い浮かびました。「ゆりかご」はとっておきの歌集でした。よく覚えているのです。音程もしっかりしているのです。私よりずっと正確に歌います。歌ったあとに私が褒めると嬉しそうにしてくれました。あるときはこの歌集には載っていない「文部省唱歌ひばり」を歌ってくれました。私にはほとんど記憶にない歌です。母が歌った歌詞をメモして本の余白に貼り付けました。母は得意そうに「おめさん、何にも知らんがね」と得意そうにしていました。母とその後何度も一緒に歌い母との思い出の一曲になりました。母は私が高校生にして胃潰瘍になり人知れず弱気になっていた時期にいつも心配してくれていました。ときに漢方薬を取り寄せ、私の胃に手を当ててくれたこともありました。それを思い出し、今しあわせを感じています。合掌 


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