浄土真宗本願寺派 託念寺のホームページ

浄土真宗本願寺派 託念寺

221号 [ 令和5年5月2日 ]

久々の出かけられるゴールデンウィーク

221号  新緑が輝いています。お花も次々と自分の出番を待っていたかのように、それぞれの個性を輝かせています。
 町内を歩くと、ハナミズキ、ツツジ、シバザクラなど、さながら「花まつり」です。
 外に出かけるには最高の季節になりました。そしてGWがはじまります。どこに行こうか、どうやって過ごそうか、あれこれと調べ計画をすることがまた楽しいです。渋滞のニュースも賑わいの復活に聞こえてきます。
 どうぞ素敵な思い出を作って下さい。


親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要 本願寺参拝

221号  バスに乗っての団体参拝がまた久々のことでありました。大陸からの黄砂で車窓の景色はかすんでしまいましたが、お天気には恵まれました。二日目は、朝5時に起床して阿弥陀堂と御影堂でお晨朝(じんちよう)(お朝事)、午前中に青蓮院(しようれんいん)、知恩院と親鸞聖人ゆかりのご寺院を参拝して、午後は再び本願寺に戻りご法要です。御影堂は全国各地からの参拝者で満堂となり、聖人のお徳を讃えたいという共通の思いを感じました。立教開宗800年に相応しく、お正信偈に先だって「宿縁讃(総序)」の声明がありました:
 ああ 弘誓の強縁 多生にも値ひがたく 真実の浄信 億劫にも獲がたし たまたま行信を獲ば 遠く宿縁を慶べ
 聖人のお言葉が厳かにお堂に響きます。800年の時を経て私たちに届けられている不思議。親鸞さまがご自身に届けられた出遇いを、「遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」と慶ばれたように、私たちが親鸞さまに出遇えた宿縁を心から感謝する機会となりました。


221号  4月19日の託念寺お取越では、参詣の皆さんとお正信偈をお勤めして、本願寺布教使真敷祐孝先生(雲外寺住職)のご法話を聴聞いたしました。親鸞さまが幼少期を過ごされた頃の京都を振り返られました。大地震や干ばつの天災に加え、戦乱に明け暮れて市中には置き去りにされたままの屍(しかばね)であふれていました。聖人もまた厳しい生活環境の中で青蓮院でお得度をされました。比叡山では修行と勉学に打ち込まれる日々であったことでしょう。後に著された教行信証は、すべて漢文で書かれ、多くの経典が引用されています。これは、比叡山時代の勉学が基礎にあって初めて可能になることです。厳しい修行とともに勤勉さが偲ばれます。それなのにどれほど修学に励んでも、見えてくるのはご自身のどうにもならない、人には見られたくない心の闇であったように思われます。晩年になっても「悲しいかな」、「恥ずべし、傷むべし」と悲嘆され続けた煩悩の深さであったように思われます。このように吐露される親鸞さまの心情が、私たちに、私に強い親近感を引き起こします。
 知恩院の山門をくぐってすぐの石段は男坂と呼ばれ、法然さまに出遇われるまでの長く高い壁を表しているように見えました。そしてやっと師教に出遇えたことを「慶ばしいかな」と今も私たちに伝え続けておられます。


感話 自分が年寄になるとは

221号 新潟日報「窓」欄(4月6日付け)に寄せられた投書のタイトルです。長岡市小田テイ(81)とありました。私は面識もなく全く存じ上げない方ですが、タイトルに惹かれました。「私が子どもの頃、学校の近くにお寺があった。」と始まります。全文を引用させていただきます:
 ある日、行事のあったお寺から参拝を済ませたお年寄りが列を作って出てこられた。ちょうど下校時間と重なり、仲間の一人が「このばあさんども」と言った。すると、その中のお一人が「ねらも、うんま、そんが、なんのろ(お前たちも、すぐ、そんなに、なる)」と言われた。私はその頃、1年が本当に長く感じられた。まさか自分が年寄りになるとは想像もつかなかった。けれども大人になり、時間に追われるうちに、あっという間に80歳になった。今、寝付けない夜は、子どもの頃の100人近い同級生の名前と顔を思い浮かべ、元気いっぱいの笑顔に囲まれて眠る。昔、大人は他人の子どもでも良い事をした時は褒め、悪い事をした時は叱った。思いっきり遊び、叱られた時代が、懐かしい。何事も人ごとと思わず、思いやりのある心で、残された人生を歩きたい。


共感でした。日曜法座でも紹介させていただいて、子どもの事だから仕方ないと思いながら「おここ」とか「おごったねか」と声が漏れるようでした。人さまの子どもでも叱ったり褒めたりできる昔の人は偉かったなぁと振り返ります。他人事だった「年寄」が、いつの間にか自分がその真っ只中にいます。気がつけば残された時間はどれくらいでしょうか。どう過ごせばいいかと日々考えます。
そんな折、このたびの立教開宗800年法要を機に本願寺から出されたご本「新時代の浄土真宗」(PHP研究所2023刊)に「都会と田舎、どっちが孤独?」の記事がありました。「新潟県長岡市の調査ですよ」とお仲間に教えていただきました。自宅死は農村が多いが、孤独死は都会が多い。ところが孤独感は都会よりも田舎の方が大きいというのです。田舎ほど人のつながりが日常的に根付いていて、それが失われたとき「孤独感が大きくなる」というのです。指摘されてみると、都会は人口は多いけれど隣人がどんな人であるかも知りません。知らない方が気楽です。人とのしがらみがイヤで都会に出ている人も多いのかもしれません。今、家のありようがどんどん変化して田舎といっても人と人のつながりが希薄になっています。田舎の人が感じる孤独感は、人とのつながりを求めているからに違いありません。小田テイさんが記されているように「何事も人ごとと思わず、思いやりのある心で残された人生を歩きたい。」それがお浄土に向かって生きていくことにつながるのかなと思いました。小田テイさん、お元気で。合掌


イメージ:ボタン

浄土真宗本願寺派 託念寺
〒940-1147 新潟県長岡市前島町211
TEL/FAX.0258-22-2998
E-mail.maeho44@crocus.ocn.ne.jp