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183号 感話:人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪 [ 平成32年2月29日 ]

新型ウィルス肺炎の猛威

183号 感話:人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪 思いもよらなかったことです。初めて報じられたとき、遠くで発生した事をただニュースとして聞いていました。次第に事態は大きく拡がり深刻になりわが身に近づいて、危険が迫ってきているように感じています。他人事から自分事に変わってきています。「過剰に恐れることなく、正しく恐れて下さい」と言われていますが、今月の法語のように、「本当」の怖さがまだ分かっていないので不安になるのですね。日ごとに状況が変化するので先の見通しが立ちません。
 今月のてらだよりでご案内を予定していた新潟教区の行事「どんとこいフェスタ」(3月1日開催予定)と公開講座「原発問題を考える映画上映会」(3月3日開催予定)が相次いで中止になりました。まだ新潟県では感染者の報告がありませんが、イベント開催には慎重にならざるを得ません。東京オリンピック・パラリンピック開催やさまざまな分野への影響が心配されます。

写真は2月9日ようやく長岡の冬景色


連研公開講座と恵以真会総会の御礼

183号 感話:人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪  2月22日に元上組連研公開法話会が託念寺を会場に開催されました。本願寺布教使黒田宙さん、阿部文雄さんの熱のこもったご法話を、元上組9か寺からおよそ50名の方々がご聴聞されました。連研は例年12月から4月まで休会状態になるのでその中間に法話会をという声が上がり、実現したものです。お二人のご講師から、お正信偈冒頭の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の謂われと、阿弥陀様の「摂取不捨」のおはたらきについて、身近な喩(たと)え話と笑いも交えてお話いただきました。「お法りのお話はいいですね。」「また来年も開いてほしいですね。」など嬉しい感想も聞かれました。今回の法話会は「新潟別院御影(ごえい)巡回法座」と共催にさせてもらいました。その趣旨にそって別院護持のご懇志にもご協力いただきました。ありがとうございました。


183号 感話:人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪  翌23日には託念寺恵以真会総会が開かれました。今年度は役員が改選され新会長平澤一秀さんのもと新たな活動がスタートいたしました。1年間の活動スケジュールを見ると決して楽ではありませんが、会員の皆さんは前向きです。頭が下がります。今年の行事予定に「初参式5月30日(土)」が入っています。3年に一度の開催です。どうぞお声かけ下さるようお願いいたします。


感話 「人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪」

183号 感話:人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪 築地本願寺の掲示板に載せられていた法語だそうです(大乗:令和2年2月号)。2月に月参りに寄せていただいたお宅で「住職さんにお見せしたいと思って」といって切り抜きしてくださった新聞記事を頂戴いたしました。記事のタイトルは「お寺の掲示板 親しみやすく ~心に響く言葉 SNSで話題~」(読売新聞:令和2年2月5日朝刊)です。「チョコレート 南無阿弥陀仏 大事な六字の贈り物」と書かれた掲示板の写真が載っていました。ちょうどバレンタインデーが近づいている時期でしたので、目にとまります。うまいなぁ!私のセンスでは到底書けないことばです。
 私どもの地域にも伝道掲示板を設置させていただいていますが、恵以真会の方々が担当してくださっています。法語の選定も、書くことも、掲示する作業も、それぞれ結構難儀なことです。そうではありますが、掲示板はきっと多くの人が、時には足を止めて、そのことばとしばし時間を共にしています。
 上述の読売新聞の記事を読んで、今お寺の掲示板がちょっとした話題になっていることが分かりました。公益財団法人・仏教伝道教会では「輝け!お寺の掲示板大賞」を募集して、その優秀賞が掲示板の写真とともにネットで紹介されています。短いことばで心に響き共感する、そんな醍醐味を感じます。 標題の法語にもハッとします。気づかなかったけれど言われてみるとなるほどそうだと、心の内側を言い当てられて恥ずかしさを感じます。こんなこころは日常に転がっていますね。テレビを見ていて番組の品定めをし、評論家のコメントに首を振り、それをまた偉そうにコメントしている私がいます。



是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり (親鸞聖人 正像末和讃)
 「仏光のもとに われかしこしの 慢心が砕かれ 卑屈の心も洗われる」(平成16年法語カレンダー3月法語) が思い出されました。


183号 感話:人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪  2月の出来事に、やまゆり園障害者殺傷事件の裁判が結審したニュースがありました。植松被告は「意思疎通のできない人間は生きる価値はない」との主張を繰り返し、やったことの過ちを認めることはありませんでした。私に毎月お届けいただいているナマステ通信(広島県呉市円福寺様発行)には右のような言葉が添えられていました。仏さまの世界には価値のないいのちなどないはずなのに、私たちの世界は、自分中心のモノサシで、人の良し悪しを平気で口にしています。
 仏さまの光に照らされて「われかしこしの慢心」に気づかせてもらえることを喜びとしたいものです。「年をとっても、つまらんもんではありませんよ」と気づかせてもらえるのも仏さまのお陰です。合掌


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