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122号 感話:表現の自由 [ 平成27年2月2日 ]

年始総会御礼

122号 感話:表現の自由  1月2日の年始総会にはご多用のところ大勢の皆様にご参拝、ご出席いただきありがとうございました。おかげさまで昨年度の決算、今年度の事業計画および予算がともに承認されました。今年度もお念仏の輪が広がり、同信のお仲間が増えるよう共に精進いたしましょう。

平成27年度の託念寺の事業計画
(1)1月2日(金)元旦会年始総会
(2)4月19日(日)お取越報恩講
(3)8月1日(土)盂蘭盆会法要
(4)11月28日(土)永代経報恩講

元上組行事
(1)本願寺念仏奉仕団  期日:3月19日(木)〜21日(土)
  参加募集人員:45名 参加費:46,000円
(2)元上組親鸞聖人750回大遠忌法要
 期日:6月13日(土) 午後1時30分〜  
会場:長岡リリックホールシアター  400名収容
(3)有縁講  期日:11月中旬(1泊2日) 会場:赤倉ホテル



伝灯奉告法要についての消息

 1月16日の親鸞聖人御正忌報恩講ご満座後、専如ご門主様より伝灯奉告法要についてのご消息が発布されました。伝灯奉告法要は、ご門主が法統を継承されたことを仏祖の御前に奉告するとともに、お念仏のみ教えが広く伝わることを期するもので、平成28年、29年に修行されることになりました。
 ご門主さまのご消息を引用します;「科学技術の発達による便利で豊かな生活の追求や欲望の肥大化はとどまるところを知りませんが、人々は、そのような豊かさのみを追求することの虚しさに気づきはじめたのではないでしょうか。」「世界に目を移せば、武力紛争、経済格差、気候変動、核物質の拡散など人類の生存に関わる課題が露呈しています。」
 新年早々にパリの新聞社を攻撃したテロ事件が発生しました。また、日本人の人質事件が起きています。まさに人類生存に関わる課題を突きつけられているのです。「自他共に心豊かに生きることの実現に貢献する」活動に真剣に取り組んでいかなければなりません。


サイノカミ

122号 感話:表現の自由  お正月はいかがお過ごしになりましたか。お正月にはさまざまな行事がありますが、「サイノカミ」はその中でも一大イベントです。本来は1月15日に行われていました。小正月といい、嫁いでいったお嫁さんが実家に帰ることを許される嬉しい休日でもありました。18日に行われた前島町のサイノカミは天候に恵まれて、真ん中からまっすぐに炎が燃え上がり、火の粉は星空の中を舞いました。こんな伝統的な行事が実は各町村で存続の危機にあるのだとお聞きしました。田んぼを耕作する家が年々減少し、わらを確保することも困難になっています。提供される方はサイノカミのために特別に稲刈りをしてわらを残し、保管されるのです。また村中総出で作業してこそできた行事でありました。吹雪の中でも雨の中でも。私はお昼過ぎに立派にできあがったサイノカミの姿を写真に収めました。親子のように並ぶ二体は、支え合う人と人の姿にも見えてきました。地域を守ってこられた先人たちを想いました。


表現の自由 鷲尾顕一(託念寺当院)

 関西人は親しみをもってアホという言葉を使う。そしてバカという言葉には敏感に反応し、怒る。一方、関東の人にとってはバカもアホも同じ意味を持つ言葉である。関西人は親しみをもってアホと言ったつもりでも、関東人の中には腹を立てる人がいるだろう。そこで『なに怒ってんねん』などと言うのは文化の押しつけである。お互いの文化をよく理解していれば配慮が生まれるだろう。だが理解していなければすれ違いや衝突は容易に起こる。
 新年を迎えて早々、フランスで凄惨な事件が起きた。新聞社襲撃のテロ事件である。まずはじめに、これらのテロ行為はどういった理由があっても許されるものではないし、肯定もできない。その上で、どうも腑に落ちないモヤモヤとしたものが残る。
 このテロ事件はイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し続けた新聞社に対する報復行為とされている。そしてテロの収束直後から、フランス人を中心とした表現の自由を支持する人々が大規模な行進をしている。フランスにおいて、風刺画などを用いて時事ネタをユーモアで皮肉るというのは、文化のようなものらしい。あの問題となった風刺画のどこにユーモアがあったのかはわからないが、ただそれは厳密にいうとイスラム教徒ではないヨーロッパ系フランス人にとってである。
 偶像崇拝を禁止するイスラム教において、ムハンマドの顔の絵というもの自体が普段目にするものではない。にもかかわらず、シャルリーエブド(新聞社)は小馬鹿にしたようなムハンマドの風刺画を幾度にも掲載した。この行為がイスラム教徒にとってどれだけの侮辱となるか、また怒りを買うのかを想像できなかったわけではないだろう。


 私はこれまでにイスラム教が国教となっている国をいくつか訪れている。そしてモスク(イスラム教の寺院)での1日5回のお祈りを欠かさずに行う敬虔なイスラム教徒の姿を、たくさん見てきた。長距離バスのドライブインにすらモスクはある。彼らの生活の中心に宗教があるのは明らかである。もしフランス人が本当に表現の自由を奪われた事に怒っているなら、それと同じようにイスラム教徒は怒っているのである。誰だって自分の大切なものを傷つけられたら怒るのだ。
 そもそもあの風刺画は「表現の自由」などという崇高なものなのだろうか。ただ単にイスラム世界へ向けられた悪意ではないのか。移民問題を抱えるフランスが日常的にイスラム世界に対して嫌悪するような風潮があるのではないか。このテロを契機にイスラム世界全体への差別が正当化されるようなことはあってはならない。ほとんどのイスラム教徒はコーランの教えの中で穏やかな生活をしているのだから。 合掌


122号 感話:表現の自由 今回の感話は当院に依頼しました。
「善人の怒り顔 悪人の笑い顔」は、教区門推協からいただいた12月の法語です。自分こそは正しいと思い込む善人は、他の意見に耳を傾けようとはしません。他を思いやることができません。親鸞さまは善悪や正邪の判断は私たちの能力を超えているものだと自らを戒められました。悪人とは、自分中心の身勝手さから抜け出られない私どもの有り様のことです。恥づべし、傷むべし。 住職


 てらだより122号を発送しているさなかに後藤健二さんが殺害のニューズが流れました。なんともやりきれない思いになりました。一人一人考えは違っていいと思いますが、どこかでわかり合えると期待します。でもそんな期待も吹き飛ばされてしまいました。悲しいことです。
 保育園の玄関前に並べられた雪だるまがお地蔵様に見えました。みんなが仲良く暮らせる世界が願われています。


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