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110号 感話:知っている [ 平成26年2月1日 ]

季節がはや歩きしているようです

110号 感話:知っている  1月は寺年始に大勢の方々にご参拝いただきました。ありがとうございました。わが家の長男は年始総会の懇親会で「寺の当院(次期住職)」の役割を少しでも果たしたいと思ったのでしょう、飲めないお酒をちょっとだけ頑張ってチャレンジしたようです。その結果は本人の予測を超えてしまったのか、翌朝になってもたいそうナンギゲ(苦しそう)にしていました。私のDNAを立派に引き継いでいます。これもまた誰に代わってもらうこともできません。引き継いだものは引き受けて生きていくしかありません。
もうすぐ節分そして立春です。晴れた日の陽射しと夕方の陽延びは、「春よこい、早くこい」を思い起こしてくれます。長岡は、今のところ雪の少ない冬になっています。雪が少ないと困る方々もおられることを思えば単純に喜べないのですが、雪下ろしをしないですめば有り難いことです。去年は1月19日、一昨年は1月14日、3年前は1月20日、29日、4年前は「5年ぶりの雪下ろし」とてらだよりに書いています。平成17年の大雪のあと4年間は少なめだったのですね。2月になれば、寒さのピークは越えますが、インフルエンザや風邪に油断は禁物です。どうぞお元気でお過ごしください。

写真:1月24日 放射冷却で−6℃まで下がり、真っ青の空の下、雪がきらきら輝いていました。身が引き締まる美しさです。遠くに米山も見えます。


親鸞さまを偲ぶ

110号 感話:知っている 新潟日報に「親鸞完結篇」が連載中です。80歳を超えられた五木寛之さんが同年代の親鸞聖人を書いておられます。750年前の親鸞さまの心情を伝えてくださっているようで時にハラハラしながら読んでいます。親鸞さまの晩年は息子「善鸞さん」との親子関係が大きなテーマになっています。み教えをお伝えすることのご苦労も偲ばれます。
 ところで親鸞さまのご長命はよく知られていますが、恵信尼さまも同様です。今度県立博物館で公開される恵信尼さまのお手紙は80歳を超えて書かれたものです。親鸞さまも88歳まではご執筆を続けられたそうです。老眼になると読めなくなるばかりか書けなくなります。この時代老眼鏡はなかったでしょう。眼も手の微細運動もご健康であったことが伺えます。揺れるろうそくの明かりの元で読み書きしても目が悪くならない、すごいことです。私は老眼鏡をかけてしっかりその筆跡を見てきたいと思います。


なむ街道を歩く25日間の旅

110号 感話:知っている  特別展「親鸞となむの大地」が本年4月26日〜6月8日の日程で新潟県立歴史博物館(長岡市関原町)にて開催されます。この関連イベントとして京都から長岡までウォーキングしようという企画ができました。全日程参加は4月1日京都岡崎別院スタートで25日県立歴史博物館でゴールとなりますが、一日単位で参加することも可能です。例えば9日目は福井駅スタート、吉崎東別院ゴールの31km、17日目では富山駅(富山東別院、西別院)スタート、滑川駅ゴールで18km、最終日は西山駅スタート、歴史博物館ゴールで15kmなどです。全行程日本ウォーキング協会のスタッフが先頭、最後尾に同行するので無理なく歩いて安心できます。4月になれば暖かくなって歩くには最適の季節です。この距離であれば大丈夫という日を選ぶこともいいかもしれませんし、この道を是非とも歩いて親鸞さまを偲びたいという思いでコースを選択することもいいでしょう。もう参加の意欲を示しておられる方が何人かおられます。こんな機会はありません。お誘いあって参加いたしましょう。このイベントに関する問い合わせは託念寺住職にご連絡ください。


感話 知っている

110号 感話:知っている  ののさまは口では何にも言わないが 僕のしたこと知っている 知っている
 ののさまは口では何にも言わないが あなたのしたこと知っている 知っている
「知っている」という歌です。前川保育園新年会でビンゴゲーム1等賞のF先生を讃えてI先生が歌ってくれました。余興の中でも歌える仏教讃歌はすばらしいと思いました。さらに言えば、歓喜の盛り上がりの中で仏教讃歌が歌われることがこれまたすばらしいことでした。この歌は短い歌詞に大切なメッセージが込められています。作家井上ひさしさんは、芝居の脚本を書くときいつも「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに」を心がけておられたそうです。F先生とI先生はとっさの演出で見事に場を和ませてくれました。ゆかいなことをいっそうゆかいに !!
 ののさま(阿弥陀さま)は、揺れ動く危うい私たちのこころを見透かして「したこと」も「思っていること」も知っていると言われるのです。自分のこころの中まで知っていると言われたら嬉しいと思うこともありますが、どちらかといえば怖いと感じます。ご門主様は、「洗いざらい思い返せば、そんなに潔白な人はいないはずです」とおっしゃいました(「朝には紅顔ありて」角川書店2003)。


110号 感話:知っている  阿弥陀さまは、その上で「だからお前はもっとまじめに生きなければいけない」と説教したり、失望したりされないのです。そのような私たちをひとり子のごとく(如一子)包み込んでくださっているのです。
 阿弥陀さまにすべて見抜かれている私の心を振り返ることが大切なのでしょう。危うい心で満たされているもの同士の社会です。毎日のように報道される国と国の非難の応酬を見るにつけ、なかよくすることはよくよくむずかしいと実感されます。「不完全なもの同士が互いを敬いあうこと」を常に心がけていきたいと思います。合掌


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