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108号 感話:誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生 [ 平成25年12月3日 ]

冬囲いありがとうございました

108号 感話:誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生  師走です。季節は確実に巡ってきますね。長期予報がどんな内容であっても冬は来ます。さあこれから来年の4月まで寒さの季節が続きます。私は寒がりなのですが、意気地なしといわれないように気合いを入れましょう。
 11月10日は昼が近づくにつれ雨が強くなって冬囲いを予定した時間には本降りになりました。中止せざるを得ないと内心思ってお御堂に向かうと雨合羽のいで立ちで次々にいらっしゃいます。どなたも止めましょうとおっしゃいません。お茶もそこそこに作業が始まり休憩なしで仕上げてくださいました。できあがりも立派です。17日はお御堂玄関の雪よけ三角屋根が取り付けられました。あたたかいお気持ちとすごい腕前にただただ感謝です。


有縁講

108号 感話:誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生  今年の秋は短かったと言われます。10月になっても30℃を越える日が何度かあったのに、11月13日には長岡でも鋸山、金倉山は白くなりました。
 11月14日に有縁講があり、赤倉温泉に行ってきました。前日とは打って変わって晴天。バスの中から妙高山、燧岳のすばらしい景色を眺めることができました。 


108号 感話:誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生  有縁講はとてもよかったです。元上組ではバス3台約100人が参加しました。今泉温資先生のご法話をしみじみ味わい。ゆったりお風呂につかり、ごちそう、お芝居を楽しみました。来年も多くの方々を誘っていきたいと思います。


感話 誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生

108号 感話:誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生  摂取不捨ということばがあります。「阿弥陀さまに照らされたいのちはどのいのちも等しく尊い」と受け止めさせてもらってもよいと思います。いのちの尊厳を表した温かみを感じることばですが、同時に厳しい意味も含んでいます。それは、自分がいただいたいのちは自分がすべて引き受けて生きていかなければならないということです。次の詩は東井義夫さんの著書に引用されていました。


雨  野村康次郎
雨は
ウンコの上にも
おちなければなりません
イヤだといっても
だめなのです
誰も
代わってくれないのです
代わってあげることも
できないのです


108号 感話:誰も代わってくれない 笑顔で生きていく人生  私が聞こえない人への教育に携わっていた頃、この領域で独特の存在感を示されていた女性の英語教師がおられました。佐野ふみ子先生とおっしゃいます。さきごろ友人から先生のお葬式に行ってきたとの知らせをもらいました。そしてお葬式で配られた先生の手記もメールで送ってくれました。80歳を過ぎてリュウマチで指が不自由になり、指一本でパソコンをたたいて書かれたものです。原稿用紙に書けば40枚にも及ぶ大作です。
 先生は大正12年生まれですから、否応(いやおう)なく戦争により青年期の大切なときが覆いかぶせられてしまいました。19歳で結婚。嫁ぎ先の父親に笑顔が気に入られて。結婚して2年後教員だった夫は出征し、その後長男が誕生しました。夫が戦死し、22歳で終戦を迎え、1歳児を抱えて未亡人となったのです。文章は淡々と綴られています。
 長男が2,3歳になった頃ちっとも話さないのに気がついて、耳が聞こえないと耳鼻科医に宣告されます; 「その日も8月の晴れた日だつた。空を見上げた。そこには晴天の霹靂(へきれき)という漢字がうかんでいた。わたしは息子を負ぶって、おしりをとんとんとたたいて言つた。『しつかりしようね』と。この日のことはいまもよく覚えている。」
 先生は長男と生きていくために教師になろうと決意され、苦学して大学を卒業し、長男が通う聾学校の教員になられました。その後教育大付属聾学校の校長に出会い、採用してもらいます。それまでの福岡から母子で千葉県市川市に移り住みます。聞こえない長男によりよい教育を受けさせたいという一心からでした。付属聾学校に移ってしばらくすると、学費すべてを支給してくれるというフルブライト奨学金試験に挑戦します。これもまたアメリカの聾教育を学びたいという先生の熱意と努力で難関を合格されたのです。アメリカに渡るのに氷川丸で横浜港を出港した時代です。子どもを学校の寄宿舎に預けて単身での留学です。まだ英語で苦労している頃のエピソードが紹介されています;
 ある集会で突然大きな男の人の声が聞こえた。それは、“What a beautiful smile!(なんて笑顔がすてきなの)"であつた。そして、その人はわたしの方を見て指さしていた。みんながわたしの方を見た。 わたしはどぎまぎとしているだけだつた。
 予定期間の1年が近づいた頃教授に呼ばれ留学を1年延長しないかと言われます。そして日本に残
してきた長男に手紙で尋ねます; しばらくして届けられた返信には、大きな字で、「ママがぼくと同じような耳の聞こえない人たちの役にたつようなことを勉強してくるのだったら、ぼくは待つてるよ」と、書いてあった。 やがて長男は、成人して聾学校の先生になりました。
 この手記を書かれて4年後、88歳で生涯を閉じられたのでした。すごい人生だと思いました。いつもニコニコしておられたあの先生がそんな人生を歩まれたとは。
 独り生まれ独り死し、独り去り独り来る。行に当たりて苦楽の地に至り趣く。身みずからこれを当(う)くるに、代わるものあることなし。−仏説無量寿経− 合掌


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