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第79号 感話:よろこびも悲しみもひととのかかわりから [ 平成23年7月4日 ]

託念寺親鸞聖人750回大遠忌法要と金子みすゞコンサートの御礼

第79号 感話:よろこびも悲しみもひととのかかわりから 本堂に響く敬礼文(きょうらいもん)の独唱、お正信偈の大合唱。親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ50年に一度の法要を厳粛に和やかにお勤めすることができました。それも大勢の方々と一緒に。山?浩さんと沼田秀美さんによる金子みすゞの歌には新たな感動をいただきました。お釈迦様の時代、親鸞聖人の時代、明治後期から大正を生きた金子みすゞさんの時代、そしてものが豊かになり便利さを享受している今の時代と、生活の風景はかなり違っていても人の心の営みはいささかも変わらない。ピアノの演奏、澄んだ歌声、山?浩さんのお話からそんなことを感じました。
 6月22日(水)放送のNHKクローズアップ現代をご覧になりましたか。テーマ「震災後に変わる価値観 絆とは」の締めくくりは、福島県出身の俳優西田敏行さんの朗読「星とたんぽぽ(金子みすゞ作)」でした。「見えないけれどもあるんだよ」「見えないものでもあるんだよ」は絆のことでもあるんだなと思いました。朗読を聞いたあと、連れ合いと食卓CD版金子みすゞコンサートを楽しみました。

写真は参加者120名の集合写真です。いわぶち写真館が撮ってくださいました。一人も目をつぶっていません。右脇に親鸞さまの銅像が左側には本堂の屋根が写っています。記念に残る、記憶に刻まれる写真になりました。


歎異抄勉強会から 「小さな自我に執(と)らわれて」

第79号 感話:よろこびも悲しみもひととのかかわりから  私たちは小さな自我に執らわれて、自らの「我」を周りの人におしつけながら生きています。そして、自分の我が通ればよろこび幸せを感じ、我が通らないと悲しみ、自分は何と不幸な人間だろうと落ち込みます。よろこびも悲しみも我がすべての日々を生きているのが私たちではないでしょうか(「声に出して読もう歎異抄」(藤田徹文著探求社)より)
 ドキッとして読みました。歎異抄の第1章「弥陀の誓願不思議」を味わって述べられています。「みんなちがって みんないい」は自分にだけ当てはめればありがたいと思いますが、自分に都合の悪い人にもそれが当てはまるのだと気づかされると、自分中心の身勝手さに恥じ入ってしまいます。

 写真は宮城県山元町坂元駅のプラットホームです。写真の左部分は本来線路が敷かれていたところです。津波で線路までが流されたのでしょうか。7月2日に訪れました。私たちが結婚した当初住んでいた山元町町営住宅も津波の被害を受けていました。


感話 よろこびも悲しみもひととのかかわりから

第79号 感話:よろこびも悲しみもひととのかかわりから 孫の顔見たさに、娘の家を訪ねました。さっそく近くの公園に行って一緒に遊びました。孫のことを家の中では動き回って落ち着きがないと娘が心配していましたが、公園で遊ぶバイタリティは「疲れを知らない子どものように」という小椋佳の歌のとおりだと感心します。私にはない運動能力を持ち合わせていてたくさん沢山褒めてやることができました。
 孫たちとしばらく遊んだあとでした。公園の一角でそれまで仲良く遊んでいると遠目に見ていた小学生7,8人の中で急にケンカが始まりました。小学校の高学年と思われる2人が互いに胸ぐらをつかみながらかなり激しい取っ組み合いになりました。周りの子どもたちが最初は止めようとしていたようですが収まらず、私は放っておけずに中に割り込みました。唇から血を流している男の子が泣きながら必死に相手に訴えているのです;
 「オレが仲間はずれにされているのに、どうしてお前はみんなと一緒になって笑ってんだよ。どうしていじめられている人の気持ちになってくれなかったんだよ。一人だけのけ者にされている気持ちが分からないのかよ。なんで一緒になって笑っていたんだよ」
 そういわれた男の子は「だって、どうしようもなかったんだ」と涙をにじませて弁解をするのですが、なおも「いじめられている人の気持ちが分からないのかよ」と繰り返します。


第79号 感話:よろこびも悲しみもひととのかかわりから  のけ者にされていた男の子の方がケンカでは優勢にさえ見えました。私はどうことばをかければよいか分からず、2人をふりほどこうとしながら2人のやりとりも聞いていました。小学生とはいえ男の子の力は強いです。私の力で引き離せるものではありません。それでもことばでやりとりしながらちょっとだけ気持ちが落ち着いたのか、相手をつかんでいた力を抜いてくれました。責められていた男の子は「ゴメンネ」とも言わず他の友だちの方に戻り、のけ者にされていた男の子はこぶしを振り上げて「チキショウ、ぶっ殺してやる」と泣きながらその場から去っていきました。私はその男の子の帰って行くうしろ姿をずっと見ているしかありませんでした。すると今度は仲間に戻った男の子が、みんなに「何でお前まで泣いてんだよ」とからかわれているのです。何かを言い返そうとする男の子を私は背後から抱いて、「君はあの子の気持ちを代弁しようとしてくれたんだよね。」「あの子がひとりのけ者にされていたのに、一緒になって笑ってしまったことが悪いと思ったんだよね。」そんなふうに言ったと思います。
 笑っていた男の子たちが急に真顔(まがお)になりました。彼らは、私には何も言わなかったけれど、泣いて帰った子と、ケンカして泣いたもうひとりの子と、私の気持ちを少しは受けとめてくれたかも知れないとその瞬間思いました。そのあとまた子どもたちは遊び始めました。
 私は、男の子たちの名前も歳も何も知らないままで別れました。泣いて帰った男の子のことが今も気がかりになっています。もう2度と遇うことはないかも知れないけれど、ケンカしたあの2人が今ごろは仲直りしていてくれたらと心の中で願っています。合掌


初参式

第79号 感話:よろこびも悲しみもひととのかかわりから  6月12日 24名の初参式がありました。
 初参式は 不思議な出遇いを喜び合う日になればと思います。
 今 ここで 改めて「こんにちは○○ちゃん あなたに遇えて嬉しいよ」と抱きしめてください。
 


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